LIMIT OF LOVE 海猿

eigadojo2006-05-06

こんな映画を観た。


2004年の映画版第1作、そして2005年のTVドラマ版「海猿 UMIZARU EVOLUTION」に続く、「海猿」シリーズの映画版完結篇。
1作目では、まだ訓練生だった主人公・仙崎大輔(伊藤英明)が、今回は最前線の潜水士として沈没大型フェリー船での救出活動に挑む。
監督は前作に引続き羽住英一郎


初日の劇場に出かけましたが、ほぼ満席の大ヒット。
映画は多くの人と盛り上がりたいので、基本的に劇場に人が多いのは嬉しいことですが、この映画のヒットに関しては「複雑な思い」もよぎります。
要は、亀山千広フジテレビジョン映画事業局長)いうやり手プロデューサーがつくったテレビとシネコンを結びつける邦画ヒットの「方程式」が定着してきたってこと。
テレビ・シリーズで認知度をアップして、劇場版を作るという手法は、「踊る大走査線」あたりからフジテレビが本格的にやってきたビジネスのやり方。
今回の「海猿」プロジェクトは、当初から2本の劇場版の間にテレビ・シリーズを挟み込むという「踊る」では出来なかったリアルタイム連動型の盛り上げ手法を徹底してやっています。
(『踊る』の場合、テレビシリーズからすぐ映画化に直結したわけでなく、ネットとスペシャルでの盛り上げが、数年かけて映画化へつながるという形になってます。)


慈善事業じゃないんだから、映画がヒットするのは誠にめでたいことなんですが・・・・・・
大ヒット映画だからこそ、この映画だけにはひとこと苦言を呈しておきたい!
この作品は・・・・・・・・・・・・


脚本が「安い」。
登場人物のキャラが「安い」。
演技が「安い」。
CGなどのクオリティが「安い」。
演出のレベルが「安い」。
とにかく、あまりにも映画全体のつくりが「安い」。
違和感を感じるのは、亀山Pたちが、それを意識してやっているって事です。
「お前ら日本人は、こういうストーリーでこういう音楽がかかれば泣くんだよな!だよね!」ってスクリーンの後ろでしたり顔をしてるのが見える気がします。
これまでの邦画プロデューサーの場合、意気込みはあっても能力が伴わなくて、変な映画ができてしまうことが多かったのですが、亀山氏の場合、高度な計算のもと、自分の狙いどおりに「安い」映画を作っている・・・・・・いわば「確信犯」だと思います。
言わば、この映画に詰まっている「安さ」は、いまの俺たち日本人自身が持っている「安さ」そのものなのです。
だから余計腹が立つ!
ハリウッドのジェリー・ブラッカイマーは、脚本、キャラが安くても、ビジュアルにだけはお金をかける「爆発大魔王」ですが、亀山Pの場合、その爆発すら安いCGと旋回するヘリコプターでお茶を濁すという「お安いブラッカイマー」なのですよ。


以前、師範代は、「踊る大走査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」の公開時、かなりあの作品への強い違和感を感じて、不満を書きました。
当時は、あまり支持してくれる人もいなかったのですが、その違和感は「ローレライ」「交渉人真下正義」「容疑者室井慎次」「県庁の星」「有頂天ホテル」と続いて、この作品で極まった感があります。
師範代が言いたいのは、「娯楽映画を作るんなら、それ相応の覚悟を持って作れ!」ってことなのです。
娯楽ってものは、その国のモラルの礎になる大事なものだと思うのです。(師範代がモラルなんて言葉使うのも違和感ありありなんだが・・・・・・)
黒澤映画や深作アクションや宮崎駿アニメは、多くの人が観る娯楽映画だからこそ、日本人にとって重要な「なにか」を描けたし残せたと師範代は思うのであります。
それは、監督やプロデューサーたちが「覚悟」をもって作品と対峙していたからに違いありません。
残念ながら亀山氏の作る映画にその「覚悟」はまったく感じられません。残念です。
お隣の韓国映画や中国映画にはやれているのに、何故日本映画では、こんなものしか作れないのかなぁ・・・・。
しかも、こんなのが大ヒットする国って・・・・あまりに情けないじゃないかなぁ・・・!


人の命を扱う職業の主人公が、人命救助をそっちのけでベタベタな「愛の告白」するような映画。
そんな映画を喜ぶ国の民なんですよ我々は・・・・・・。嗚呼!


以上、師範代の勝手な感想を書き散らかしました。
海猿」ファン、亀山Pファンの皆さんには不快な思いをさせてすんません。
まぁ、今回も、師範代は「呼ばれなかったパーティ」に参加してしまったのでしょうね・・・・・・・ってことで。


http://www.umizaru.jp/