ハウルの動く城

eigadojo2004-11-19

こんな映画を観た。


日本映画の興行記録を塗り替え、アカデミー賞まで受賞した宮崎駿監督の最新作。文字どおり「全世界待望の最新作」と言える「ハウルの動く城」がいよいよ明日公開です。
一足早く鑑賞させてもらった人間の責任として、この映画について少々語っておくことにいたしましょう。
ネタバレも含みますので、ストーリーを知りたくない方はこれ以降は読むべからず!



イギリスの児童文学「魔法使いハウルと火の悪魔」(ダイアナ・ウィン・ジョーンズ)の映画化は、当初「デジモンアドベンチャー」映画版などで注目された新鋭・細田守監督の下でジブリが製作をスタートさせました。
どういう経緯かは定かでありませんが、細田監督が突然降板。プロジェクトを一から仕切直すことで宮崎駿監督最新作となった訳です。
日本の映画作家で最も自分の企画が自由に通るであろう宮崎監督が、いまさら他人の尻ぬぐいをするためにこの作品を引き受けるはずもないので、この原作を使って描く「何か?」に宮崎監督が強く惹かれたと解釈できます。
ジブリ鈴木敏夫プロデューサーは、「宮崎駿が初めてラブストーリーに挑戦する!」というプロモーション・トークを展開していますが、これには裏のテーマを隠す意図があると思われます。
もちろん、呪いをかけられ90歳のおばあちゃんになったヒロイン・ソフィーと主人公の魔法使いハウル恋物語は、この物語の縦軸ではありますが、宮崎監督が本当に描きたかったのは、それ以外のもの。つまりは、「老い」と「戦争」です。


呪いで90歳にさせられたソフィーは、心は少女のままなので、「老い」を発見するプロセスを初めて体験することになります。人間の「老い」は、感覚の「老い」も伴うものなので、老人が世の中をどう感じているのかは、実はあまり語られなかったりするのです。今回は、宮崎監督が己の「老い」を、その鋭敏な感覚で感じながら、作品の中に封じこめようとしています。
映画の前半部で「アルプスの少女ハイジ」を思わせる生活感たっぷりの描写が続き、その「老い」を丁寧に描写してゆきます。
ところが、同時に「三つ子の魂百まで」という言葉もあるように、「美少女好き」という「業」からは、宮崎監督も逃れられません。そのテーマからすれば、ソフィーは老婆のままハウルと恋をしなければならないのに、都合のいいところで美少女の姿に戻ったりします。(ソフィーが意志をもって喋るときは、本当の姿に戻る・・・・・ような描写になってはいますが、「恋を語る時はやっぱり美少女!」という監督の本音が垣間見えてしまいますねー)吹き替えの点では、倍賞千恵子にあえて声を作らせないで、少女から老婆まで演じさせているのにも関わらず、絵の面では「業」から逃げられませんでした・・・・・とさ。余談ですが、キムタクはずいぶん押さえて吹き替えさせられているので、心配するほどの「キムタク節」ではありません。「ハウルさま萌えー」の女性がたくさんリピーターとなることでしょう。


そして、宮崎監督が本当に描きたかったであろうテーマこそが「戦争」。それは単純な「反戦」というものではありません。「人間が戦争を起こすのに、何故、人間は戦争を止められないのか?」という根元的な問いが作品を通じて語られているからです。
はっきり断言できますが、劇中のハウルは、「イラク派兵された自衛隊」のことです。戦争を止めさせるために戦地に赴いたはずなのに、いつしか自分が「デビルマン化」して、大いなる脅威となっている・・・・・。
ハウルは、戦争は大嫌いなのに、戦車や戦闘機が大好きな宮崎監督の分身とも言えます。

映画は、唐突なほどあっけない「ハッピーエンド」で幕を閉じますが、あれは監督の悪意そのものだと思います。「戦争があんなに簡単に終わるはずがない!」と思っているのは監督自身のはずです。
映画の主題歌が「世界の約束」というタイトルなのもかなりな皮肉です。「平和」こそが、「世界の約束」であるはずなのに、今の世界は「戦争状態」なのですから・・・・・・・。かなり強引にこの曲をエンディングにもってきているのも意図的であろうと思われます。


結論、「ハウルの動く城」は、宮崎作品の中で最も政治的で、最も歪な形の作品です。その歪さはいまの世界が置かれている状況そのものを反映していると言えます。いわば宮崎駿版「華氏911」です。
エンターテイメントとしては失敗作ですが、真摯な作家の作品とも言えます。こんなわがままな作品が許されるのは、世界でも宮崎駿だけかもしれません。これが「千と千尋の神隠し」を破って400億円の興行収入新記録を達成すると面白いなぁ・・・・・・。