なるほど「銀色の髪のアギト」評

さて、この「銀色の髪のアギト」だが、見事なまでになんにもない。すごいぞ。どこにもこの映画、ひっかからないからな。様式で突出しているものがどこにもない。
(中略)
もっとも、それはGONZOという制作集団の特徴でもあって、この人たちの作品で突出して過剰なものがあったためしは、一瞬たりとも、ない。GONZOというのは過剰なものを抑制するフィルタでもあるのか、「アレが凄かった」と言える要素をまるで持たない、ある意味異様な凡庸さを絶えず纏って作品をつくりつづけてきた。
(中略)
GONZOという集団には、そうした「一言で言える作品のウリ」が皆無なのだ。いや、企画書にはあったのかもしれんが、少なくとも完成した映画にはそれが脱臭したかのように、きれいさっぱりなくなっている。
(伊藤計劃:第弐位相)
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20060109

アニメには、「デザイン」「様式」こそ必要という説には納得できるものがあります。
「過剰さ」について言えば、「好きな作品」「嫌いな作品」「どうでもいい作品」の3種類の中で師範代のランクがもっとも低いのは「どうでもいい作品」なのです。
「嫌いな作品」というのは、その過剰さのレベルにおいては、かなり優れている作品だからです。
「中途半端な成功作」より「過剰な大失敗作」の方が、実は面白い映画だと感じる師範代なのでございます。