宮崎駿のダークサイド

eigadojo2004-11-13

先日、宮崎監督のジブリ作品がいかに奥底にドロドロしたダークサイドを抱えているかという話を知り合いにしたら「それホント?」と真顔で聞き返されてしまった。
師範代的には、もうすでに有名な話だと思っていたので、こっちの方がビックリ!
ジブリアニメを「愛と勇気と真実」のファンタジー作品だと思っている人がまだまだ多いのだなぁ・・・・と実感した次第です。
良い機会なので、いくつかここに披露しておきたいと思います。


・美少女好き
宮崎作品では、ヒロインは10代の少女(処女?)がほとんど。大人の女性はほとんどが敵役に設定されています。いわゆる大人のセクシー系のキャラクターはほとんど登場しません。
ルパン三世カリオストロの城」では、テレビシリーズで人気の峰不二子はどうでもいい脇役扱い、あえてクラリスという少女を登場させて、おじさんルパンのマドンナとしています。
このあたりが「宮崎駿ロリコン」と指摘される所以ですが、師範代としては、もう一歩踏み込んで、「大人の女性を憎む理由」がなにか宮崎監督のトラウマとしてあるのでは?と思ってしまうのです。
病弱だった母と会話することが多かった宮崎監督の少年時代となにか関係があるような気がします。


社会主義への傾倒
ジブリのツートップである宮崎駿高畑勲が、東映動画時代に労組運動でバリバリ活動していたのは、有名な話ですが、やはり作品の中にも「社会主義」への憧れと憎しみが共存しています。
あの世代がが熱病のように追い求め実現できなかった「理想の社会主義国家」。その超ミニチュア版がスタジオ・ジブリと言えます。
アニメーションを作るという作業そのものが、集団作業を必要とするため、個人の欲望を追求する行為は「悪」とされるコミュニティです。しかし、その作業で生み出されたものが、この上もなく「高度消費社会」を支える「商品」となっていることに、両巨匠は悩んでいるようです。
高畑監督は「ホーホケキョとなりの山田くん」でその理想を家族という最小単位で描いてみせました。「平成狸合戦ぽんぽこ」の狸たちは、決して動物ではなく、学生運動社会主義運動が資本主義経済に飲み込まれてゆくさまを描いた政治的作品です。また、宮崎監督は「となりのトトロ」で消費経済を迎える前の日本の田舎にその理想郷を求めています。


・「千と千尋の神隠し
劇中に登場する「油屋」は、神様が疲れを癒しにくるところとなっていますが、ずばりあれは娼館(日本流に言えばソープランド)です。
千尋」が「千」と名前を変えれるのは、いわゆる源氏名をつけられたということ。「油屋」で働く女たちは、劇中で「湯女(ゆな)」と呼ばれていますが、これは江戸時代の湯屋で売春行為をしていた女性たちの呼び名です。
なによりも湯婆婆のドレス姿は、19世紀の娼館の女主人の典型的格好。欧米人はあの格好を観てすぐにわかるそうです。
そう考えると、クサレ神の相手をさせられる千というのは、処女好きの変態オヤジにあてがわれた悲惨なケースとも言えます。
劇中、千は原因不明の腹痛を起こしていますが、どうみてもあれは「初潮」を迎えたということでしょう。
(この項は、町山智浩柳下毅一郎との共著「ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判」(洋泉社)に詳しく書いてあります。)


・「もののけ姫
もう、テーマからしてが、シシ神を殺そうとする「神殺し」の話ですよ。社会主義への傾倒を考えても、ここは「反天皇制」の物語として読み解くのが一番わかりやすいと思います。
劇中でもっとも美しいエボシ御前が、もっとも凶暴なキャラとしてシシ神退治に乗り出し、さらに大怪我をするという点でも、宮崎監督の「大人の女性への憎しみ」「権力への憎しみ」がドロドロと渦を巻いております。
この映画のキャッチコピーは「構想13年宮崎駿の凶暴なまでの情熱が世界中に吹き荒れる」となっていましたが、文字どおり「凶暴な作品」なのです。


以上、ジブリ作品のダークサイドをホンの一部ご紹介しました。師範代はジブリ作品をおとしめるためにこれを書いたのでありません。
こういう「毒」を含んだ作品であるからこそ、ジブリ作品は人気があるのであり、「毒」だからこそ全世代の人たちに観られる作品なのです。子供にはとくに良質の「毒」かもしれません・・・・・・。
ジブリ作品は安心して子供に見せられる作品だわぁ・・・・」とか思っているお母さんたちは、かなりおめでたいと思いますが・・・・・・・。